将棋の駒全8種の動かし方と並べ方!王将と玉将の真実や名産地天童の技
将棋セットを手にした際、一方は「王将」、もう一方は「玉将」と書かれていることに疑問を抱いた経験を持つ方は多いはずです。なぜ同一の動きをする総大将の駒に異なる文字が刻まれているのか、その背景には日本の歴史的変遷と身分制度の作法が深く関わっています。
考古学的な発掘調査や文献史料によると、将棋の駒 歴史 由来の原点は平安時代の「平安将棋」にまで遡ります。驚くべきことに、当初存在していたのは「玉将」であり、「金・銀・銅・鉄」といった貴金属とともに「宝玉(宝石)」を象徴する文字として名付けられていました。つまり、本来のルーツは「王」ではなく「玉」だったのです。
「王将」という文字が登場したのは、豊臣秀吉の治世または江戸時代初期とされています。天下統一を果たした権力者が「玉(宝物)」ではなく「王(君主)」の文字を好んで用いさせたという説が有力です。その後、江戸時代の家元制度(大橋家・大橋分家・伊藤家)の中で、「上位者が王将を使い、下位者が玉将を使う」という明確な慣習が確立されました。
現代の対局マナーにおいても、以下の原則が受け継がれています。
- 段位や年齢が上のプレイヤー(またはタイトル保持者)が「王将」を取る。
- 段位が下のプレイヤー、または振り駒で後手番となったプレイヤーが「玉将」を取る。
- 同段位同士の親善対局では、年長者が王将を取るのが一般的な礼儀作法とされる。
盤を挟んで向かい合う際、相手への敬意を表すプロトコルとしてこの区別が今なお厳格に受け継がれている点は、将棋が単なる勝負事ではなく「道」としての精神文化を保持している証拠といえます。