梁塵秘抄を徹底解剖!後白河院が熱狂した名歌の真相と現代語訳
『梁塵秘抄』の誕生を語る上で欠かせないのが、後白河法皇の生涯の師匠となった伝説的な女性芸能者・乙前(おとまえ)の存在です。
当時、今様の主な担い手は、川辺や宿場町に生きた遊女(あそびめ)や傀儡子(くぐつ)、そして男装して歌い舞う白拍子(しらびょうし)といった下層階級の女性たちでした。彼女たちは独自の芸道を磨き上げ、卓越した歌唱技術を保持していたのです。
後白河法皇は、当代随一の名手と謳われながらも零落していた70代から80代の老遊女・乙前の噂を聞きつけ、1169年に自らの御所へと招き入れました。法皇という最高身分にありながら、身分の低い老遊女に対して礼を尽くし、膝を突き合わせて50日以上にも及ぶ徹底的な口伝の伝授を受けたと記録されています。
乙前が亡くなった際、法皇は肉親を失ったかのように激しく号泣し、法要を手厚く営んだといいます。身分階級の厳格だった中世社会において、身分や年齢の壁を完全に超越した「芸道に対する絶対的な敬意」が結実したからこそ、『梁塵秘抄』という奇跡のアンソロジーが完成したのです。