火垂るの墓作者・野坂昭如の真実|妹への贖罪と隠された実話の全貌

火垂るの墓作者・野坂昭如の真実|妹への贖罪と隠された実話の全貌にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

アニメ映画における清太は、わが身を犠牲にしてまで妹・節子を慈しむ「理想的な兄」として描かれます。しかし、手記や過去のテレビインタビューにおいて、野坂自身が語った実像はそれとは真逆の残酷なものでした。清太のモデルとなった野坂少年は、極限状態の中で妹を愛し抜くことなどできなかったのです。

空襲後、14歳の野坂は1歳4ヶ月だった義妹・恵子(けいこ)を連れ、西宮の親戚宅を経て福井県坂井郡三国町(現・坂井市)へ疎開しました。配給は途絶え、大人ですら飢餓に直面する異常事態のなか、まだ言葉もおぼつかない赤ん坊の泣き声は、空腹で神経をすり減らした少年の心を容赦なく苛みました。当時の回想録『アドリブ自叙伝』などで、野坂は目を背けたくなるような真実を赤裸々に告白しています。

「妹に飲ませるべき重湯(おもゆ)を、空腹のあまり自分が横取りして飲み干してしまった」
「夜中に火がついたように泣き叫ぶ妹の頭を、うるささに耐えかねて拳骨で殴りつけて黙らせた」

1945年8月22日、終戦からわずか1週間後、義妹・恵子は栄養失調によって衰弱死しました。妹の直接の死因は飢餓でしたが、野坂の心の中には「飢えに負けて妹の命を奪ったのは自分だ」という消えない焼印が押されました。小さな遺体を自ら荼毘(だび)に付した際、骨壺代わりの瓦に拾い集めた白骨のかけらは、少年のその後の人生を決定づける呪縛となったのです。

野坂昭如が本作を執筆した最大の理由、それは生き残ってしまった自分に対する強烈な断罪と、飢え死にさせた妹への贖罪にほかなりません。作中で清太を最後、誰にも看取られずに三ノ宮駅の構内で餓死させた理由について、野坂はのちにこう語っています。「僕はあんなに優しくはなかった。小説の中で清太を無惨に殺すことで、自分自身に死刑宣告を下し、死んだ妹に詫びたかった」。物語の美しさは、野坂が一生涯背負い続けた罪の意識の裏返しだったのです。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。