なぜ「波の下にも都がございます」と語った?二位尼と安徳天皇の涙の最期と真相

なぜ「波の下にも都がございます」と語った?二位尼と安徳天皇の涙の最期と真相とは一体何なのか? 背景や要点を簡潔に解説します。

Q1:『平家物語』の原文ではどのような文言になっていますか?
A1:代表的な覚一本(かくいっぽん)のテキストでは、「浪の下にも都の候ぞ(なみのしたにもみやこのそうろうぞ)」と記されています。「候(そうろう)」は丁寧の意を表す中世の助動詞であり、祖母が幼い天皇に対して最高級の敬意と慈愛を込めて語りかけていることが分かります。

Q2:安徳天皇が入水した当時、実の母親である建礼門院はどうしていたのですか?
A2:建礼門院(平徳子)も安徳天皇と二位尼の入水を見届けた後、自ら海へ身を投げました。しかし、源氏方の武士(渡辺党)に熊手で髪を引っ掛けられて引き上げられ、命を取り留めました。その後、京都の大原寂光院で出家し、一族の菩提を弔いながら静かに余生を過ごしました。

Q3:なぜ「波の下」に「都」があると表現したのですか?
A3:仏教における「西方極楽浄土」の荘厳な世界を、8歳の子供に分かりやすい「竜宮城」や「美しい都」のイメージに重ねて説明したためです。戦乱と血にまみれた現世を離れ、清らかで安らぎに満ちた新天地へ旅立つのだと幼帝に信じさせるための、二位尼ならではの深い配慮でした。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

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