西郷隆盛の死因は切腹か負傷か?城山決戦と介錯の真相を追う
明治政府が終戦直後に作成した公式な検死記録「西郷隆盛検視帳」や、現地で検死を担当した岩村通俊の記した回想録には、生々しい事実が刻まれている。胴体部分に自切(自ら腹を切ること)による明確な深い切創は確認できず、主な傷は下半身の銃創と首の打創(介錯による切断)であった。政府軍の山県有朋も首級と対面した際、傷の状況から「切腹の形をとった即死に近い首打ち」であったと察している。
後世の美談として「完璧な武士の切腹」が仕立て上げられた背景には、政府軍側にも「時代の英雄」を惨めな野死として処理したくないという配慮や、士族たちの矜持を守ろうとする政治的・心理的な力が働いていた。史料が語るのは、神格化された英雄像ではなく、極限状態の戦場を生き抜いた一人の人間の姿である。