御徒町「燕湯」の現在と激熱朝風呂の真相!登録有形文化財の魅力を徹底解剖
燕湯の歴史と経緯を紐解くと、そのルーツは明治時代末期から大正時代にまで遡ります。戦時中の東京大空襲で一度は建物を焼失したものの、終戦直後の1950年(昭和25年)に現在の木造宮造り建築として再建されました。高度経済成長期の都市開発の波を乗り越え、古き良き昭和初期の社寺建築様式を今に伝えています。
その歴史的・文化的重要性が公的に評価され、2008年(平成20年)には銭湯の建造物として極めて異例となる国の登録有形文化財に登録されました。外観の堂々たる千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)を組み合わせた屋根構造、高い格天井(ごうてんじょう)が広がる脱衣場は、建築資材が高騰する現代では再現不可能と言われる貴重な文化遺産です。
浴室に足を踏み入れると、奥の壁面には見事な富士山のペンキ絵が広がり、湯船の周囲面には本物の富士山溶岩を積み上げた雄大な岩風呂が鎮座しています。男湯と女湯を跨ぐ形で配された溶岩壁は、荒々しい自然の力強さと職人技の精緻さを同居させており、入浴者に唯一無二の視覚的体験を与えています。