徳川家康の死因は鯛の天ぷら?現代医学が暴く胃がん説と最期の真相

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死期を悟った家康は、元和2年4月に入ると後継者である第2代将軍・徳川秀忠や側近の金地院崇伝、天海らを枕元に呼び、綿密な遺言を遺しました。その中で遺骸の処置について明確な指示を与えています。

「遺体は駿河国の久能山(久能山東照宮)に葬り、一周忌が過ぎたのちに下野国の日光山(日光東照宮)へ小堂を建てて勧請せよ。関八州の鎮守となるべし」という遺言は、死後も神(東照大権現)となって徳川政権と日本の恒久平和を守護し続けるという強烈な政治的意志の表れでした。

また、家康が遺したとされる辞世の句には、激動の生涯を振り返る深い境地が詠み込まれています。

「嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
(目が覚めて嬉しいと思い、またひと眠りする。現世で見ていた夢は、明方の空のように儚く消え去っていくものだ)

「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」
(先に死ぬ者も、後世に残される者も行き着く先は同じである。ただ連れて行くことができないのを別れと思うだけだ)

戦国最強の武将たちと鎬を削り、近親者の非業の死や裏切りを乗り越えて天下を手にした男が、最期に到達した達観と無常観が色濃く滲み出ています。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。