なぜ泥沼化?シベリア出兵の裏側と教科書が隠した衝撃の真相とは

なぜ泥沼化?シベリア出兵の裏側と教科書が隠した衝撃の真相とはとはどのようなものなのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

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寺内内閣の後を継いだ「平民宰相」原敬は、この無益な遠征を早期に終わらせようと奔走した。アメリカをはじめとする連合各国は、1920年春までに早々とシベリアからの撤兵を完了。国際的な孤立を恐れた原敬は撤退の機を伺っていたが、陸軍は既得権益とサハリン北部(北樺太)の占領継続を主張して頑として譲らない。

軍政と軍令の二重構造、いわゆる統帥権の独立を盾にした参謀本部の抵抗により、政治主導の撤兵は遅れに遅れた。1921年、原敬が東京駅で暗殺されると、政治的求心力は一気に失速。日本軍がサハリン北部から最終的に完全撤退したのは、出兵開始から実に7年が経過した1925年、日ソ基本条約の締結を待たねばならなかった。兵員損耗数千人、投じた戦費は約9億円(現在の貨幣価値で数兆円規模)という途方もない代償を残しての撤収だった。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。