賢帝を倒しパクス・ロマーナを砕いた「アントニヌスの疫病」の真相
アントニヌスの疫病がローマ世界へ侵入した直接の契機は、東方の宿敵パルティア王国に対する大規模な軍事遠征でした。西暦165年、共同皇帝ルキウス・ウェルス率いるローマ軍はメソポタミアに進軍し、大都市セレウキアを攻略・略奪します。しかし、まさにその戦地で未知の病が発生しました。
兵士たちの間に広がった病魔は、軍隊の凱旋とともに帝国の心臓部へと逆流します。ローマ軍がシリアから小アジア、ギリシャ、イタリア半島、さらにはライン川やドナウ川の最前線基地へと移動する過程で、ウイルスは瞬く間にばらまかれました。
当時、ローマ帝国が誇っていた地中海全域を結ぶ舗装道路網と活発な海上交易路は、皮肉にも病原体を高速で拡散させる「ウイルスのハイウェイ」として機能してしまったのです。国境警備のために帝国の端から端へと部隊を再配置する軍事行動が、感染拡大に拍車をかける結果となりました。