江戸時代の花火の歴史と真実|隅田川のルーツから玉屋追放の裏側まで
Q1:江戸時代の花火玉の大きさはどのくらいだったのですか?
A1:江戸時代初期から中期は2寸玉(直径約6cm)から4寸玉(約12cm)程度の手投げ・小型筒打ちが中心でした。技術が成熟した幕末期でも尺玉(10号玉=約30cm)程度が限界であり、現在のような2尺玉・3尺玉といった巨大な花火を打ち上げる揚力火薬の技術は明治以降の発展によるものです。
Q2:徳川吉宗以外に花火を愛好した有名な歴史上の人物はいますか?
A2:徳川家康が慶長18年(1613年)に駿府城内でイギリス人商人ジョン・セーリスや明国の商人から花火を見せられた記録(『駿府政事録』)が有名です。また、伊達政宗も火薬を用いた狼煙や観賞用花火を早くから城内で試作させていたと伝えられています。
Q3:なぜ「かぎや」よりも「たまや」の掛け声のほうが有名なのですか?
A3:語感として母音に広がりがある「たまや」のほうが発声しやすく、遠くまで通りやすかったことに加え、玉屋の仕掛け花火が当時の江戸っ子に圧倒的な人気を博していたためです。当時の狂歌でも「玉屋玉屋と花火の音に 鍵屋はくやしがるばかり」と詠まれるほどでした。