日本の歴史を覆した岩宿遺跡の真相|相沢忠洋の執念と最新知見

日本の歴史を覆した岩宿遺跡の真相|相沢忠洋の執念と最新知見の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

戦前の日本考古学界において、関東ローム層(赤城山や富士山などの火山灰が堆積した赤土の地層)は激しい酸性土壌であり、遺物や人骨が残るはずがないと断定されていました。さらに、東京ドーム周辺の大森貝塚などを発掘したエドワード・S・モース以来、縄文土器を伴う時代こそが日本最古の人類文化であるという学説が絶対視されていたのです。

この強固な学会の壁に風穴を開けたのは、大学教授でも官僚でもなく、当時納豆の行商をしながら考古学に情熱を燃やしていた青年、相沢忠洋(あいざわ ただひろ)氏でした。相沢氏はリヤカーを引きながら赤城山麓の切り通しを歩き続け、長年にわたり崖面の地層を観察し続けました。

相沢氏の自著『「岩宿」の発見』の手記には、1946年(昭和21年)秋、岩宿の切り通しで黒く光る石片を見つけ出した瞬間の驚愕と興奮が生々しく記録されています。

「赤土の断層から、明らかに人の手で加工された鋭利な黒曜石の破片が顔を覗かせていた。指先が震え、全身の血が逆流するような衝撃だった」――当時の手記で語られたこの告白通り、それは自然石の割れ目ではなく、人工的に刃を打ち出した「打製石器」でした。

相沢氏は発見した石器を手に東京の明治大学へ赴き、若手考古学者であった芹沢長介氏や杉原荘介教授らを説得。1949年(昭和24年)9月、明治大学を中心とする合同発掘調査が実施されました。その結果、関東ローム層の明確な層位から槍先形尖頭器やナイフ形石器が次々と出土し、日本に確実に旧石器時代が存在した動かぬ証拠が証明されたのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

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