河野太郎の祖父・河野一郎とは何者か?五輪立役者と急死の真相

河野太郎の祖父・河野一郎とは何者か?五輪立役者と急死の真相の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

河野一郎は1898年(明治31年)、神奈川県足柄下郡豊川村(現・小田原市)の豪農の家に生まれました。幼少期から負けず嫌いで鳴らした一郎は、早稲田大学政治経済学部に進学します。学生時代は競走部に所属し、長距離ランナーとして第1回・第2回の箱根駅伝に出走するなど、驚異的なスタミナと精神力を培いました。

大学卒業後は朝日新聞社に入社し、政治部記者として頭角を現します。持ち前の行動力と鋭い洞察力で政界の裏表を知り尽くした一郎は、1932年の第18回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から出馬して初当選。34歳の若さで政治家への転身を果たしました。

戦後は日本自由党の結党に参画するも公職追放を経験。追放解除後は鳩山一郎の最側近として政界に復帰し、保守合同による自由民主党の結党(55年体制の成立)に決定的な役割を果たしました。「義理と人情」「抜群の決断力」を武器に官僚主導の政治に抗い続けた一郎は、官僚出身のエリート政治家たちから最も恐れられた存在でした。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。