大逆事件とは何か?幸徳秋水ら処刑の真相と明治政府が隠した冤罪の全貌
大逆事件をわかりやすく捉えるならば、「天皇暗殺を企てたという名目で、明治政府が目障りな社会主義者を根こそぎ抹殺した弾圧劇」です。当時の刑法第73条には「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」と定められており、未遂や予備(準備段階)であっても情状酌量の余地なく一律で死刑となる「大逆罪」が適用されました。
事件の発端は1910年5月25日、長野県明科の製材所で働いていた機械工・宮下太吉が、手製爆弾の所持容疑(爆発物取締罰則違反)で検挙されたことに始まります。宮下は熱心な無政府主義(アナキズム)に傾倒しており、仲間である新村忠雄、古河力作、そして女性活動家の菅野スガとともに、明治天皇の暗殺計画を密かに練っていました。
警察の取り調べに対し、宮下らは天皇爆殺の計画を自供します。ところが、本来であれば宮下ら数名の共謀事件として処理されるべき事案を、桂太郎内閣と司法当局は「社会主義者による全国的な国家転覆の陰謀」へと強引に拡大解釈しました。全国で数百名が捜査対象となり、計画にまったく関与していなかった地方の読書会メンバーや僧侶までもが次々と拘束される異常事態へと発展したのです。