波の下にも都がございますの意味と真相|二位尼の最期の言葉を徹底解剖
安徳天皇の生年月日である治承2年11月12日(1178年12月22日)から、壇ノ浦の戦いが勃発した寿永4年3月24日(1185年4月25日)を逆算すると、安徳天皇の享年は満年齢でわずか6歳4ヶ月(数え年で8歳)でした。死の意味すら正確に理解できない幼子に対し、二位尼(平時子)が咄嗟に発した言葉には、複数の深い理由が存在します。
第一に、敵の手による陵辱・捕縛の回避です。源氏方に生け捕りにされれば、幼帝といえども配流や屈辱的な処遇が待ち受けていました。かつて平氏政権の頂点を極めた平清盛の正妻・二位尼としての強烈な矜持が、主上を敵の手に渡すことを許さなかったのです。
第二に、仏教的救済観に基づく「恐怖心の緩和」です。死の恐怖を植え付けるのではなく、阿弥陀如来の待つ「西方極楽浄土」を海の下にある美しい都に見立てて説明することで、幼子の精神的苦痛を和らげようとしました。仏教の浄土信仰では、西の彼方に阿弥陀仏の極楽浄土が存在すると説かれます。二位尼は主上にまず皇室の祖神である伊勢大神宮へ暇乞いをさせ、続いて西を向いて念仏を唱えさせるという儀礼を瞬時に執り行いました。これは単なる心中ではなく、帝としての格式を保った崇高な往生儀礼だったといえます。