ヒカルの碁聖地!本因坊秀策囲碁記念館の見どころとアクセス完全解説
本因坊秀策は文政12年(1829年)、因島外浦町にて桑原虎次郎という幼名で生を受けました。幼少期から類まれな才能を発揮した虎次郎は、わずか9歳で江戸へ上り、名門・本因坊家に入門。瞬く間に頭角を現し、十四世本因坊秀和の跡目(後継者)に指名されます。
秀策の名を不滅のものにしたのが、将軍の御前で打たれる最高峰の公式対局「御城碁(おしろご)」における19連勝・生涯無敗という大記録です。秀策が先番(黒番)を持てば絶対に負けないと恐れられ、「秀策のコスミ」と呼ばれる手堅く美しい布石は、現代のAI囲碁時代においても高く評価されています。
文久2年(1862年)、江戸でコレラが大流行した際、周囲の制止を振り切って罹患した門弟たちの看病に尽くし、自らも感染して34歳の若さで命を落としました。その高潔な人格と圧倒的な棋力から、初代本因坊道策と共に「棋聖」と尊崇されています。