二・二六事件の真相とは?青年将校の動機と処刑の裏側を徹底解説
1936年2月26日の午前5時頃、東京には数十年ぶりと言われる30センチを超える大雪が積もっていました。青年将校たちは部下の下士官・兵卒に対し「非常呼集である」「演習である」と告げ、何も知らされないまま実弾を配られた部隊を率いて雪を踏みしめ出動しました。
標的となったのは、国家の屋台骨を支える重臣たちでした。赤坂の高橋是清大蔵大臣私邸に乱入した中橋基明中尉率いる部隊は、寝室にいた81歳の老財政家に対し拳銃を発射し、軍刀で斬りつけて惨殺しました。高橋是清が暗殺された理由は、軍部が要求する莫大な軍事予算の膨張を命がけで抑え込み、インフレーションと財政破綻を防ごうとしていたためです。日本の金融危機を幾度も救った希代の財政家の命は、理不尽にも「軍拡を阻む国賊」という短絡的なレッテルによって奪われました。
同じ頃、四谷の斎藤実内大臣私邸では47発もの銃弾が浴びせられ、杉並の渡辺錠太郎教育総監(陸軍大将)邸でも家族の前で機関銃乱射による凄惨な殺害が執行されました。また、宮城前で襲撃された鈴木貫太郎侍従長(後の終戦時首相)は三発の銃弾を受け重傷を負いましたが、夫人の「とどめは私がお刺しします」という毅然とした嘆願と、襲撃部隊を率いた安藤輝三対位の武士道的な配慮により奇跡的に一命を取り留めています。
一方、事件最大のドラマとなったのが岡田啓介首相の命がけの脱出劇でした。首相官邸を襲撃した部隊は、官邸内にいた岡田首相の実妹の夫であり、秘書官を務めていた松尾伝蔵元陸軍歩兵大佐を岡田本人と誤認して射殺してしまいます。松尾の容貌が首相と酷似していたことによる偶然の身代わりでした。
本物の岡田啓介は女中部屋の押し入れに身を潜め、反乱部隊の監視下に置かれた官邸内に丸一日以上閉じ込められました。翌27日、救出作戦を計画した憲兵や秘書官たちは、弔問に訪れた大勢の親族や弔問客に紛れ込ませ、岡田に黒縁メガネとマスクをつけさせて堂々と反乱部隊の歩哨線を突破。首相生還の一報は、政府と軍上層部の士気を大きく覆す決定打となりました。