天城越えの歌詞の意味とは?「殺していいですか」と心中説の真相
『天城越え』という規格外の楽曲は、どのようにしてこの世に産み落とされたのか。その誕生の背景には、昭和歌謡史に刻まれるべき壮絶な「作家陣の旅」がありました。1986年初頭、当時28歳を迎えていた石川さゆりは、すでに『津軽海峡・冬景色』や『波止場しぐれ』などで国民的歌手の地位を確立していましたが、さらなる新境地となる「大人の女の情念を歌い切る楽曲」を渇望していました。
そこで立ち上がったのが、作詞家の吉岡治、作曲家の弦哲也、そしてアレンジャーの桜庭伸幸という黄金トリオでした。彼らは楽曲のインスピレーションを得るため、静岡県伊豆湯ヶ島温泉の名旅館「白壁荘」へ赴き、缶詰合宿を敢行したのです。
弦哲也の手記や当時の関係者インタビューによると、二人は宿に篭り、天城の深い山並みと冷涼な空気に身を浸しながら構想を練り上げました。現地で目にした「浄蓮の滝」の激しい飛沫、「寒天橋」の頼りなげな佇まい、そして苔むした「旧天城隧道」の暗闇。それら実在する名所が、吉岡治の頭の中で「女の情念が辿る地獄巡りのルート」として一本の線に結ばれました。
弦哲也はギターを爪弾きながら、これまでの演歌の王道パターンを打ち破るメロディを模索しました。低音の語りかけるような独白から、サビ前の「殺していいですか」で一気に緊張感を極限まで高め、サビの「天城〜越〜え〜」で天を裂くような絶唱へと跳躍する旋律。宿の一室でこの曲の骨格が鳴り響いた瞬間、吉岡治と弦哲也は「とんでもない怪物が生まれてしまった」と鳥肌を立てたといいます。28歳の石川さゆりにこの過酷な情念を歌わせるという挑戦は、昭和歌謡界のプロフェッショナルたちが仕掛けた命懸けの賭けでもあったのです。