麻生太郎と福岡の真実|飯塚の豪邸と地元グループの圧倒的影響力を解剖
SNSやネット掲示板では時折、「これほどの大物政治家を長年輩出しているのに、なぜ筑豊地域は人口減少と衰退が続いているのか」という批判的な指摘がなされます。しかし、この疑問は産業史の文脈を無視した短絡的な見方と言わざるを得ません。
戦後のエネルギー革命によって石炭から石油へと主役が交代した際、筑豊炭田を抱える自治体群は壊滅的な打撃を受けました。全国の多くの産炭地(夕張など)が財政破綻や過疎化で急速に縮小したのに対し、飯塚を中心とする福岡8区が一定の都市機能と人口規模を維持できたのは、麻生グループが炭鉱からセメント、通信、教育、医療福祉へと業態転換を迅速に進め、地域の受け皿雇用を創出し続けたからです。
つまり、「麻生氏の政治力があっても衰退した」のではなく、「麻生グループの事業多角化と中央での政治力という二重の防波堤があったからこそ、地域経済の即時崩壊を免れた」というのが地域経済史の客観的な事実です。
ただし、その防波堤が強固すぎたがゆえに、地域全体が「麻生頼み」のモノカルチャー経済から抜け出せなくなり、新たな産業の自立的発展を遅らせたという「制度的ロックイン(依存の罠)」が生じたことも否定できません。この功罪併せ持つ構造こそが、筑豊と麻生太郎氏の真実の関係です。