マリー・アントワネット処刑の真相|最後の言葉と裁判の罪状を徹底解明

マリー・アントワネット処刑の真相|最後の言葉と裁判の罪状を徹底解明の概要と注目ポイントを徹底的にカバーしました。

マリー・アントワネットという人物をめぐっては、後世の創作や当時の悪質なプロパガンダによって、事実とは異なる巨大な誤解が定着しています。歴史研究によって判明している代表的な2つの盲点を検証します。

1. 「パンがなければお菓子(ケーキ)を食べればいい」の捏造

民衆の困窮をあざ笑うかのような有名なこのフレーズですが、歴史的事実としてマリー・アントワネットは一度もこの発言をしていません。ジャン=ジャック・ルソーの自伝的著作『告白録』第6巻に登場する「ある大公妃が言った」という記述が、革命期の反王党派パンフレットによって王妃の言葉として意図的に結びつけられ、流布されたプロパガンダでした。

実際の彼女は、飢饉の際にはヴェルサイユ宮廷の予算を削って貧民救済にあてたり、孤児を養子にして養育するなど、情に厚い一面を持っていました。しかし、激化する社会不安の中で、民衆は憎しみの象徴を求めていたのです。

2. 王妃の名を失墜させた「首飾り事件」の真相

1785年に発覚した「首飾り事件」の真相もまた、王妃にとっては完全な冤罪でした。稀代の女詐欺師ジャンヌ・ド・ヴァロワ(ラ・モット伯爵夫人)が、王妃に取り入りたいロアン枢機卿を騙し、約160万リーブル(現在の貨幣価値で数十億円相当)にのぼる超高額なダイヤモンドの首飾りを王妃の名を騙って騙し取った事件です。

裁判によってマリー・アントワネットの完全な無実が証明されたものの、日頃の派手な浪費イメージが災いし、民衆は「王妃が裏で糸を引いていたに違いない」と信じ込みました。この事件は、フランス民衆の王室に対する決定的な不信感を生み、王妃の権威を完全に失墜させる引き金となったのです。

3. 運命を決定づけた「フェルセンとの逃亡劇」の破綻

革命の激化から逃れるため、1791年6月に企てられたのがスウェーデン貴族アクセル・フォン・フェルセンの主導による逃亡劇(ヴァレンヌ事件)でした。王妃の忠実な理解者であり恋人関係にあったとされるフェルセンは周到な脱出計画を練りましたが、王室一家の危機感の欠如、重厚な大型馬車による移動の遅れ、警備部隊との連絡不備が重なり、国境手前のヴァレンヌで身元が発覚・拘束されました。

この逃亡劇の失敗により、国王一家は「国民を裏切って外国軍を引き連れ攻め込もうとした裏切り者」と見なされ、立憲君主制の維持は完全に不可能となりました。処刑へのカウントダウンは、この瞬間から始まったと言えます。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。