三笠宮妃百合子さま101年の軌跡|三男先立ちの悲哀と皇室最高齢の真実

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百合子さまは1923年(大正12年)6月4日、旧華族である高木子爵家の当主・高木正得(まさなり)氏の次女として生を受けられました。高木家は江戸時代に河内国丹南藩1万石を治めた名門であり、百合子さまの母方の祖母は幕末の大名・大河内正質(まさただ)の娘という屈指の家柄です。女子学習院本科で学ばれていた若い頃は、その気品に満ちた美貌と聡明さで周囲から広く知られる存在でした。

1941年(昭和16年)10月、日米開戦の足音が間近に迫る緊迫した情勢の中、18歳で昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁親王とご成婚されました。しかし、華やかな宮廷生活とは程遠く、新婚生活は戦争の影に覆われていました。崇仁親王が陸軍将校として戦地へ赴く中、百合子さまは留守を預かり、質素倹約を徹底されたといいます。

特に過酷を極めたのが1945年の東京大空襲でした。青山東御所内にあった三笠宮宮邸は激しい炎に包まれて全焼。百合子さまは当時まだ乳児だった長女の甯子さんを抱きかかえ、防空壕へと間一髪で避難されました。家具や衣服のほとんどを焼失した戦後の混乱期には、皇族でありながら自ら台所に立ち、配給の芋や野菜を調理し、井戸端で洗濯板を使って泥汚れを落とす日々を送られました。ご生前の手記や回顧録には、「宮さまが大学で教鞭を執られる背広に継ぎを当て、家族で慎ましく暮らしたあの日々こそが、家族の結束の原点でした」と記されており、報道の表舞台には出ない類まれな生活者としての芯の強さが窺えます。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。