松井秀喜と長嶋茂雄の絆|素振りと国民栄誉賞、現在の関係まで徹底解剖
1992年11月20日、新高輪プリンスホテルで開催されたプロ野球ドラフト会議。星稜高校で甲子園を沸かせた松井秀喜に対し、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、福岡ダイエーホークスの4球団が1位指名で競合しました。当時、本人が阪神ファンを公言していたこともあり、会場には異様な緊張感が漂っていました。
抽選くじを引いたのは、ジャイアンツの監督に復帰したばかりの長嶋茂雄でした。右手で引き当てた交渉権の封筒を高々と掲げた瞬間、運命の歯車が大きく動き出します。後年の回顧録において長嶋氏は「右手に松井君を引き寄せる強い予感があった」と語っており、自らの手で日本野球界の宝を育て上げる強い覚悟を持って臨んだ瞬間でした。
入団会見で用意された背番号は「55」。これは、歴代屈指の本塁打王である王貞治氏が記録したシーズン55本塁打を将来的に超えてほしいという長嶋監督の熱烈な期待と、球界の勢力図を塗り替える大型スラッガーの育成を誓う球団の意思表明そのものでした。