外交官から皇后へ|小和田雅子さまの経歴と決断の真相を徹底解説
小和田雅子さんの半生を語る上で欠かせないのが、他の追随を許さない圧倒的な学業実績と国際的なキャリアです。幼少期をソビエト連邦(現ロシア)やアメリカで過ごした雅子さんは、帰国後に田園調布雙葉学園へ通い、高校時代に父の赴任に伴い再び渡米。マサチューセッツ州の公立名門ベルモント・ハイスクールを卒業後、ハーバード大学経済学部へと進学しました。
ハーバード大学では国際経済学を専攻し、1985年に極めて優秀な成績を収めた学生にのみ授与される「マグナ・カム・ラウデ(優等賞)」を受けて卒業しました。この時期に培われた小和田雅子さんの英語力は、単なるネイティブレベルの会話力にとどまらず、複雑な経済協定や国際政治の文脈を正確に把握し、論理的な交渉を行うことができる極めて実戦的なものでした。
帰国後、東京大学法学部に学士入学を果たした雅子さんは、1986年に難関中の難関として知られた外交官試験(外務公務員採用一種試験)に合格します。当時の合格者約800人中わずか3名だった女性合格者の一人として外務省に入省したニュースは、女性の社会進出を象徴する出来事として大きな注目を集めました。
入省後は経済局国際機関第二課(通称・国際第二課)に配属され、OECD(経済協力開発機構)関連の業務や半導体摩擦など、当時の日米・多国間における最重要課題を担当しました。当時の上司や同僚は報道各社の取材に対し、「深夜まで資料を読み込み、男性官僚に一歩も引けを取らないタフな交渉力を持っていた」と証言しています。その後、省の研修生として英オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ留学するなど、まさに日本の次世代を担う外交官としての王道を歩んでいました。