華族の末裔はなぜ金持ちなのか?戦後没落を免れた資産のカラクリ
終戦直後の1946年から1947年にかけてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)主導で断行された一連の改革は、旧華族階級に対する徹底的な経済的・身分的解体劇でした。1947年5月3日の日本国憲法施行に伴い、第14条第2項の規定によって華族制度は完全に廃止され、公爵から男爵まで約1,000家存在した特権階層は法的な身分を失いました。
名門一族を最も追い詰めたのが、1946年秋に施行された財産税法です。これは戦時補償を打ち切られた個人資産に対し、1回限りで課された過酷な超過累進課税でした。課税最低限を超える個人純資産に対し、最高税率は実に90%(1,500万円超の区分に適用)に達しました。当時の1,500万円は現在の数十億円から100億円超に相当する巨額ですが、大名華族や公家華族が代々引き継いできた山手線内側の広大な大名屋敷、庭園、美術品、山林、有価証券は瞬時に課税対象となったのです。
現金決済を求められた旧華族の多くは、納税のために土地や家宝を二値で手放さざるを得ませんでした。赤坂の旧李王家邸(旧グランドプリンスホテル赤坂旧館)、紀尾井町の大名屋敷跡地(ホテルニューオータニ敷地の一部)、目白の椿山荘(山縣有朋邸跡)など、現在の都心主要ホテルや複合施設の一等地は、この時期に旧華族が物納や売却を余儀なくされた土地が原点となっています。
破滅的な状況下で資産を守り抜いた一族には、明確な共通点がありました。それは、戦前・戦中から資産を個人名義ではなく「一族の合名会社・合資会社」や「財団法人」へ組織変更していた先見性です。個人の死亡や単発の個人資産課税から切り離された法人格に土地を移し、一部の山林や有休不動産を物納に充てることで、中核となる収益不動産を死守した旧華族だけが、現代に続く資産家としての礎を残すことに成功しました。