山手線唯一の第二中里踏切はいつ廃止?跨線橋工事の現在と真相
第二中里踏切をめぐっては、鉄道ファンや歴史愛好家の間で長年語り継がれるいくつかの「誤解や疑問」が存在します。現地取材と公的文書からその真相を紐解きます。
最も多い疑問が「『第一中里踏切』はどこにあるのか?」という点です。数字が「第二」である以上、当然「第一」が存在したはずですが、現在その姿はどこにもありません。歴史資料を辿ると、かつて駒込駅のすぐ近くに「第一中里踏切」が存在していました。しかし、昭和初期から戦後にかけての連続立体交差化や山手線の複々線化事業の過程で、第一中里踏切は早期に高架化・跨線橋化され、姿を消したのです。第二中里踏切だけが地形的な高低差(武蔵野台地の突端という谷間構造)の影響で立体化が困難を極め、結果として今日まで取り残される形となりました。
もうひとつの誤解は、「2005年以前にも山手線には踏切がなかったのではないか」というものです。実は2005年1月まで、目白駅と池袋駅の間にもうひとつの踏切「長崎道踏切」が存在していました。この長崎道踏切の立体交差化・廃止が完了したことで、第二中里踏切が正式に「山手線唯一の踏切」という孤高の肩書を背負うことになった経緯があります。
さらに、「現在の踏切を地下化すれば景観を壊さずに済んだのではないか」という意見もありますが、これは土木技術上ほぼ不可能です。田端側は強固な台地を抜ける掘割構造となっており、さらに地下には地下鉄や下水道本管が輻輳しています。過密運行を維持しながらの地下シールドトンネル掘削は工費と工期の両面で天文学的な数値となるため、地上道路橋の跨線橋新設が最も合理的かつ現実的な解として選定されたのです。