西郷隆盛の死因の真相を徹底解明|被弾と介錯の壮絶な最期と首の謎
別府晋介の手で介錯された直後、薩摩軍の従僕であった千沢や菊田武次郎らは、主君の首級が敵の手に渡って辱めを受けることを防ぐため、首を抱えて戦場を離脱しました。彼らは西郷の首を白布に包み、戦火をかいくぐりながら、近隣の折田正助邸の門前付近の溝や土中に急ぎ埋没させて隠匿しました。
総攻撃が終わり、城山が静まり返った後、明治政府軍は血眼になって西郷の遺骸を捜索しました。岩崎口の草むらで発見された巨躯の遺体には首がなく、政府軍首脳部は震撼します。「西郷を取り逃がしたのではないか」「影武者ではないか」という疑念が司令部を支配したためです。
政府軍は降伏した薩摩軍兵士に厳しく尋問を行い、ついに首の隠し場所を突き止めました。泥土の中から掘り出された首級はきれいに洗い清められ、浄光明寺(現・南洲寺)において、政府軍最高司令官であった参軍・山県有朋の立ち会いのもとで「明治政府軍の首実検」が厳粛に執り行われました。
山県有朋は、かつて討幕の戦友であった西郷の首級を前にして長い沈黙を保ち、やがて「西郷どん、あなたとはこうして相見えたくはなかった」と涙を浮かべながら語りかけたといいます。首級と胴体は検死ののち丁寧に縫合され、手厚く葬られました。現在、鹿児島県鹿児島市の南洲墓地には、西郷隆盛を中心に、城山で散った薩摩軍将兵幹部たちが静かに眠っています。