中村吉右衛門の死因と家系図の真相|鬼平が遺した播磨屋の絆と現在
名優を陰で支え続けたのが、妻の知佐(ちさ)夫人です。資産家令嬢であった知佐さんは1975年に吉右衛門さんと結婚。梨園という極めて特殊かつ閉鎖的な世界に嫁ぎながら、吉右衛門さんの健康管理と播磨屋の弟子たちの育成、後援会対応に心血を注ぎました。過酷な重責に押し潰されそうになる吉右衛門さんを家庭の中で優しく包み込み、精神的支柱であり続けました。
夫亡き後の現在も、知佐夫人は表舞台に過度に出ることは控えているものの、播磨屋の一門の行く末を見守り、吉右衛門さんの遺品整理やアーカイブ事業、記念公演の相談役として確固たる存在感を放っています。関係者の証言によると、今も吉右衛門さんの月命日には欠かさず祈りを捧げ、播磨屋の伝統を次の世代へ引き渡すための裏方作業を穏やかに続けています。
吉右衛門さんと知佐夫人の間には男児がおらず、4人の娘に恵まれました。歌舞伎界において「男子跡取りがいない」という状況はかつて家制度上の重大事と捉えられがちでしたが、この家族は固い絆で結ばれていました。
その中でも歌舞伎界の未来を大きく左右することになったのが、四女である瓔子(ようこ)さんと、音羽屋の名門・五代目尾上菊之助さん(現・八代目尾上菊五郎襲名を控えるトップ俳優)の結婚でした。2013年に行われたこの婚儀は、「音羽屋と播磨屋」という歌舞伎界屈指の名門同士の合流として一大ニュースとなりました。
そして2013年11月、瓔子さんと菊之助さんの間に長男・和史(かずふみ)くんが誕生します。この男児こそが、現在の尾上丑之助(おのえ・うしのすけ)さんです。吉右衛門さんは初孫である丑之助さんを文字通り目の中に入れても痛くないほど溺愛しました。2019年5月、歌舞伎座での「団菊祭五月大歌舞伎」において丑之助さんが初舞台を踏んだ際、吉右衛門さんは舞台上で祖父として深い愛情に満ちた笑みを浮かべ、客席の感動を誘いました。
SNSや歌舞伎ファンのコミュニティでも、「吉右衛門さんの芸魂と骨太な風格は、間違いなく孫の丑之助くんに宿っている」「音羽屋の瀟洒な芸風に播磨屋の重厚さがブレンドされる奇跡の血統」と大きな期待が寄せられています。吉右衛門さんの直系としてのDNAと精神は、娘婿である菊之助さんの誠実な後見のもと、新時代を担う若き俊英へと脈々と息づいています。