デヴィ・スカルノの波乱万丈|莫大な資産と2026年の素顔に迫る
運命の歯車が大きく回転したのは、1959年6月のことです。来日中だったインドネシアの初代大統領スカルノが帝国ホテルのバーを訪れた際、当時19歳だった七保子と邂逅を果たします。大統領はその知性と気品、そして類まれな美しさに深く心を奪われ、手紙や電報を通じた猛烈な求愛が始まりました。
同年秋、彼女は周囲の猛反対やスパイ説などの雑音を乗り越えてインドネシアへ渡航。1962年、正式にスカルノ大統領と結婚し、第3夫人となりました。その際に授かったイスラム名が「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)」――サンスクリット語で「宝石の聖なる女神」を意味する名でした。
しかし、幸福の絶頂は長くは続きませんでした。1965年に起きた軍部主導の「9・30事件」によって政情は暗転。大統領が失脚し軟禁状態に追い込まれる中、彼女は妊娠中の身でありながら日本、そしてフランス・パリへと亡命を余儀なくされます。1970年にスカルノ大統領が逝去するまで面会すら困難を極めた日々の悔恨は、自著『デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨』(草思社)でも生々しく語られています。孤立無援の異国で生き抜く過酷な経験が、誰にも媚びない強靭な精神力を決定づけました。