「御用改めである」の真相!新選組池田屋事件の史実セリフと元ネタの全貌

「御用改めである」の真相!新選組池田屋事件の史実セリフと元ネタの全貌に関する深掘り記事をまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。

この言葉を語る上で避けて通れない最大の歴史的舞台が、元治元年6月5日(1864年7月8日)深夜に発生した新選組 池田屋事件です。京都三条木屋町の旅籠・池田屋に集結した尊皇攘夷派の過激派志士たちを、近藤勇率いる少数精鋭部隊が急襲したこの事件は、新選組の名を天下に轟かせた決定打となりました。

映画や大河ドラマでは、池田屋の表戸を蹴破り、近藤勇が凛々しい声色で「御用改めである!手向かいいたすにおいては容赦なく切り捨て申す!」と大見得を切るシーンが定番です。しかし、歴史学的な視点から池田屋事件 セリフ 史実を掘り下げると、まったく異なる光景が見えてきます。そもそも、新選組 御用改め 誰が叫んだのかという点について、現場に突入した当事者たちの記録を照合する必要があります。

現場へ最初に踏み込んだのは、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助のわずか4名でした。突入時の当事者である永倉新八が後年に遺した手記『浪士文久報国記事』によれば、近藤勇は池田屋の玄関に入り、主人を入念に呼び出してから「会津藩御預新選組である。怪しい者がおるか改めに入る」といった趣旨の宣告を行っています。抜き身の刀を構えて怒号とともに暴れ込んだのではなく、手続き上はあくまで「旅籠の宿泊者改め(宿改め)」としての体裁を取り、主談判から開始されていたのが池田屋事件の真相です。

では、人口に膾炙している「手向かいいたすにおいては」「容赦なく切り捨て申す」という流麗かつ冷徹なフレーズはどこから生まれたのでしょうか。調査の結果、この決定打となったのは昭和初期の作家・子母澤寛が著した『新選組始末記』(1928年)や、戦後の司馬遼太郎による名作『燃えよ剣』などの文芸作品です。子母澤寛は八木家など新選組関係者の子孫への徹底した取材を行いつつも、講談的なリズムを取り入れて物語をドラマチックに演出しました。史実の近藤勇が発した実直で硬骨な名乗りが、作家たちの手によって洗練され、武士道の峻厳さを体現する御用改めである 元ネタの完成形へと進化を遂げたのです。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。