チェッカーズ藤井フミヤの現在と解散の真相|再結成なき確執の全貌
1983年にシングル『ギザギザハートの子守唄』でデビューしたチェッカーズは、翌年の『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』と立て続けに大ヒットを記録し、社会現象となりました。当初は芹澤廣明氏(作曲)と売野雅勇氏(作詞)の黄金コンビが手掛ける提供曲を歌う「歌謡アイドルバンド」としてプロモートされ、トレードマークのチェック柄衣装とともに爆発的な人気を獲得します。
しかし、メンバー7人はもともと福岡県久留米市で結成された生粋のロックンロール/ドゥーワップバンドでした。他人が作った曲で踊らされるアイドル的な扱いにフラストレーションを募らせた彼らは、1986年のシングル『NANA』を皮切りに、全楽曲をメンバー自ら手掛ける「完全自作路線」へと舵を切ります。この転換こそが、バンドの音楽的評価を高めた一方で、内部崩壊の引き金となりました。
当時の制作関係者の証言によると、楽曲制作がバンド内で行われるようになったことで、メインのソングライティングを担当するフミヤ、尚之、武内享のクリエイティブ陣と、それ以外のメンバーとの間に「印税収入」と「音楽的発言力」の格差が急速に生じ始めました。さらに1990年代初頭、所属事務所「スリースタープロ」からの独立を巡り、フミヤを中心とする独立派と、事務所への残留を主張する高杢禎彦らとの間で意見が真っ向から対立。修復困難な不信感が蓄積した結果、1992年12月31日のNHK紅白歌合戦を最後に、バンドはあっけなく解散を迎えました。