横山裕が弟の結婚式で流した涙の真相|父親代わりの壮絶半生と現在
横山裕がなぜそこまで「父親代わり」に徹しなければならなかったのか。その背景には、幼少期から青年期にかけて彼を襲った過酷な生い立ちと家族構成があります。
横山が3歳の頃に実の両親が離婚。その後、母親が再婚したことで、6歳年下の次男・勤(つとむ)さんと、8歳年下の三男・充(みつる)さんという2人の弟(名前:勤・充)が誕生しました。しかし、横山と義父との折り合いは極めて悪く、義父から棒で叩かれるなどの身体的虐待や激しい暴力を受け、一時期は母方の祖父母の家に預けられるという孤立を経験しています。
やがて母親は義父と離婚し、女手一つで3人の男の子を育てる母子家庭となりました。困窮する家計を支えるため、横山は中学卒業と同時に進学を諦め、建設会社へ就職。過酷な配管工などの現場仕事に従事しながら、関西ジャニーズJr.(当時)のレッスンに通う日々を送りました。「早く一人前になって、オカンと弟たちを食わせる」という決意だけが、少年期の横山を突き動かしていた原動力でした。
しかし、運命はさらなる残酷な試練を与えます。関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)としてブレイクの足がかりを掴みかけていた2010年5月、母親が50歳という若さで急逝したのです。地元のスーパーで買い物中に突然倒れ、心不全(虚血性心疾患)により帰らぬ人となりました。ソロコンサートの全国ツアー中、青森公演の開演直前に訃報を聞かされた横山は、悲しみを押し殺してステージに立ち、終演後に病院へ駆けつけるという極限状態を耐え抜きました。
大黒柱であった母の急逝により、当時まだ学生だった弟たちの命運は完全に横山の両肩に託されました。「自分が弟たちの親になるしかない」。弱冠29歳にして、彼は兄であると同時に「一家の父」となる覚悟を決めたのです。