なぜ民主党政権は3年で崩壊したのか?悪夢の真相と功績を徹底解剖
熱狂から絶望へと転落していった民主党政権の崩壊タイムラインを時系列で整理すると、自民党の攻撃によって倒されたのではなく、内部分裂によって自壊していったプロセスが鮮明に浮かび上がります。
- 2009年8月〜9月:衆院選で308議席を獲得し政権交代。鳩山由紀夫内閣発足。社民党・国民新党との連立。
- 2010年5月〜6月:普天間基地移設問題で社民党が連立離脱。鳩山首相と小沢幹事長がダブル辞任。菅直人内閣発足。
- 2010年7月:菅首相の唐突な消費増税発言により、参院選で大敗。国会が「ねじれ」状態に陥る。
- 2010年9月:尖閣諸島沖中国漁船衝突事件が発生。映像流出事件などで外交・治安対応への批判殺到。民主党代表選で菅氏が小沢氏を破るも亀裂深刻化。
- 2011年3月:東日本大震災・福島第一原発事故発生。危機対応の遅れと混乱で政権支持率が急落。
- 2011年8月〜9月:菅首相退陣。財務省に近い野田佳彦氏が代表選を制し、第95代首相に就任。
- 2012年6月〜7月:野田首相が自民党・公明党と「社会保障と税の一体改革(三党合意)」を締結。消費税率10%への引き上げを決定。反発した小沢一郎氏ら49名が集団離党。
- 2012年11月14日:国会での党首討論において、野田首相が自民党総裁の安倍晋三氏に対し、「定数削減に協力するなら今週末に解散する」と電撃的に衆議院解散を明言。
- 2012年12月16日:第46回衆議院議員総選挙。民主党は改選前230議席から57議席へと壊滅的敗北を喫し、政権崩壊。
なかでも野田佳彦の消費増税と解散経緯は、民主党の歴史における決定打となりました。民主党は結党以来「消費税は引き上げない」「徹底的な行財政改革が先」と主張し続けてきた経緯があります。それにもかかわらず、党内をまとめきれないまま野党であった自公両党と手を組み、増税路線に舵を切ったことは、結党時の理念を信じた支持層に対する決定的な裏切りと受け止められました。党首討論での電撃解散は、事実上の「討ち死に解散」となり、民主党は事実上瓦解しました。