ムッソリーニとヒトラーの真相|師弟逆転と破滅へ向かった二重奏
1943年7月、シチリア島に連合国軍が上陸すると、イタリア国内の不満は頂点に達しました。ファシスト大評議会はムッソリーニの統帥権返上を可決し、国王エマヌエーレ3世は彼を即座に解任・逮捕します。イタリアは連合国との秘密休戦協定に署名し、枢軸国陣営から離脱しました。
幽閉されたムッソリーニを救うべくヒトラーが命じたのが、電撃的なムッソリーニ救出作戦(オーク作戦)です。アペニン山脈の標高2,100メートルを超える高地、グランサッソのホテルに監禁されていたムッソリーニに対し、1943年9月12日、オットー・スコルツェニー親衛隊大尉率いる降下猟兵部隊がグライダーで強襲を仕掛けました。
一発の銃声も鳴らすことなく成功したこのグランサッソ襲撃は、世界中を驚愕させました。しかし、東プロイセンの総統本営「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」でヒトラーと再会したムッソリーニは、かつての威厳を完全に失い、憔悴しきった老人同然の姿でした。当時のドイツ側記録によると、ヒトラーは旧友の無事を涙ぐんで喜んだものの、ムッソリーニ本人は政界引退と隠遁を強く望んでいたと伝えられています。
ヒトラーは引退を許しませんでした。「イタリア北部に戻り、新たなファシスト国家を樹立しなければ、ミラノやトリノを灰燼に帰す」と脅迫されたムッソリーニは、北イタリアのガルダ湖畔にサロ共和国(イタリア社会共和国)を樹立します。しかしその実態は、治安維持も行政権もナチス親衛隊(SS)とドイツ国防軍に完全掌握された傀儡政権でした。ムッソリーニは自らの娘婿であるガレアッツォ・チャーノ外相をはじめとする「裏切り者」の処刑書名にサインを強いられるなど、自責と無力感の中で命を削っていきました。