菅義偉の若い頃がイケメンすぎると話題!生い立ちと苦労人伝説の真実
大学卒業後の1973年、菅氏は民間の電気設備会社「ケーネス(旧・建電設備)」に就職します。しかし、「世の中を大きく動かしているのは政治ではないか」という思いを断ち切れず、26歳の時に法政大学の就職課を通じて紹介を受け、衆議院議員・小此木彦三郎氏(神奈川県選出・後に通商産業大臣などを歴任)の事務所に私設秘書として飛び込みました。
ここから11年間にわたる秘書生活が始まります。菅氏は小此木氏の運転手から雑務、陳情処理、選挙区の冠婚葬祭回りまでを完璧にこなしました。代議士が何を求めているかを瞬時に察知して先回りする能力の高さから、小此木氏から絶大な信頼を寄せられるようになります。
この秘書時代に出会ったのが、後に首相夫人となる真理子夫人でした。真理子さんは小此木事務所の関係者の親族(秘書仲間の姉など)として事務所の行事やお手伝いに来ており、控えめで気配り上手な姿に菅氏が一目惚れしたと伝えられています。
派手な自己アピールを好まない菅氏が真摯に想いを伝え、二人は結婚。政治家の妻として前に出過ぎることなく、夫の過酷な選挙戦や政治活動を陰ながら支え続けた真理子夫人の内助の功は、政界でも広く知られるところです。
1987年、菅氏は38歳で横浜市議会議員選挙(西区選挙区)に打って出ます。当時、西区は有力な現職がひしめく激戦区でしたが、菅氏は相模鉄道の副社長など地元の重鎮を後援会に引き入れつつ、自らの足で約3万軒の家を訪問。靴を6足履き潰すという伝説的な猛運動を展開し、見事トップ当選を果たしました。横浜市議を2期務める中で、卓越した根回しと政策立案能力から「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を持つに至ります。