Ini尾崎匠海の軌跡と熱愛の真相|過酷な下積みから掴んだ現在地
尾崎匠海のキャリアを語る上で欠かせないのが、決して平坦ではなかったデビューまでの道のりです。大阪府枚方市で生まれ育った彼は、幼少期からアーティストへの憧れを抱き、十代前半から本格的なレッスンと芸能活動をスタートさせました。
2016年には、エイベックス・マネジメント所属の育成ユニット「a-X's(アクロス)」のメンバーとして抜擢されます。AAAの全国ツアーに帯同して路上ライブやオープニングアクトを務めるなど経験を積んだものの、グループは惜しまれつつ活動を終了。その後もダンス&ボーカルグループ「Jump up Joy」を結成し、都内や地方の路上ライブ、小規模なライブハウスで地道にチラシ配りを続けながらパフォーマンスを磨く日々が続きました。
冬の凍てつく寒さの中、立ち止まる人が数人しかいない路上でマイクを握り続けた経験は、現在の彼の骨太なプロ意識の原点となっています。当時の密着取材やファンの回想によると、観客が一人もいないような環境であっても、尾崎は常に全力のパフォーマンスと満面の笑みを絶やさなかったと記録されています。
大きな転機となったのが、2026年に開催されたサバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN SEASON 2(プデュ2)』への挑戦でした。すでに芸能活動の経験があった尾崎は、開始当初から「完成されたアイドル」として高い注目を浴びる一方、過去の経歴ゆえの重圧とも戦い続けました。番組内でのクラス分け評価やポジションバトルでは、確かな歌唱力とリーダーシップを発揮。国民プロデューサー(視聴者投票)による熱い支持を集め続け、最終順位5位(投票数28万2,211票)で見事にINIのメンバーとしての切符を勝ち取りました。