美川憲一の若い頃が美少年すぎると話題!イケメン時代から現在まで
正統派の美少年からムード歌謡の第一人者、そして現在のような「毒舌オネエキャラ」へと舵を切った背景には、緻密な自己プロデュースと、恩人たちとの運命的な出会いがありました。
最大の契機となったのは、古くからの親交があった美輪明宏からの決定的な助言です。どん底の時代、美川が楽屋やプライベートで見せる鋭い観察眼とユーモア溢れる語り口を知っていた美輪は、「あなた、普段のその面白い喋り方をテレビでもそのまま出しなさい。自分を偽って小さくまとまっていては駄目よ」と背中を押しました。この言葉が、彼の肩の力を抜き、ありのままの自分を表現する覚悟を決めさせました。
さらに、ものまねタレント・コロッケの存在が復活の起爆剤となります。1980年代後半、コロッケが披露した「顔を極端に歪め、大げさに首を振る美川憲一の物真似」は大ウケしていました。多くの歌手が誇張された物真似に難色を示す中、美川は激怒するどころか「もっと派手にやりなさいよ」と自ら接近。テレビ番組で共演を果たし、自虐と毒舌を交えて掛け合うことで、お茶の間の爆笑をさらったのです。
1989年には「ちふれ化粧品」のCMで放った「もっと端っこ歩きなさいよ」というフレーズが社会現象化。1991年には実に17年ぶりとなるNHK紅白歌合戦への返り咲きを果たし、その後小林幸子との間で繰り広げられた美川憲一 紅白衣装 歴史は、数億円規模の装置を駆使した巨大アート対決として平成のテレビ史を彩りました。ピンチをチャンスに変え、他者の才能をも味方につける柔軟性こそが、美川憲一という稀代のタレントを誕生させたのです。