高島忠夫の死因と壮絶な闘病記|遺された妻・寿美花代と息子の現在
高島忠夫さんの芸能界での足跡は、日本のエンターテインメントの歴史そのものです。1951年に新東宝のニューフェイス第1期生として芸能界入りを果たし、甘いマスクと抜群のスタイルで瞬く間にスターダムへと駆け上がりました。
映画界では東宝の看板俳優として活躍し、1962年のメガヒット作『キングコング対ゴジラ』での主演や、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の日本初演でヒギンズ教授役を務めるなど、映画・舞台双方で確固たる地位を築きます。
その後、活動の主軸をテレビへと移すと、卓越したトーク力と温かい人柄が開花しました。
音楽クイズ番組の金字塔『クイズ・ドレミファドン!』では、オープニングの決め台詞とともに番組の顔として君臨。さらに『ゴールデン洋画劇場』の解説者や、夫婦で出演した長寿料理番組『ごちそうさま』など、昭和から平成にかけて国民的な人気司会者としての地位を不動のものにしました。