江戸を震撼させた「三日コロリ」の真相!死者数と幕末パンデミックの全貌
安政5年の夏から秋にかけて江戸を襲った惨禍は、まさに地獄絵図と呼ぶにふさわしいものでした。記録に残る江戸時代のコレラ死者数は諸説あるものの、当時の江戸市中(人口約100万人)において、わずか2〜3か月の間に約10万人から30万人近くが命を落としたと推計されています。
連日数百人規模で犠牲者が発生したため、寺院や火葬場は完全に処理能力を超過しました。棺桶の供給が追いつかず、酒樽や醤油樽に遺体を詰め込んで運ぶ光景が日常化し、火葬の順番待ちは数日におよび、街角には異臭が立ち込めたと伝えられます。
この壊滅的被害の背景には、江戸の衛生環境と疫病の歴史が深く関係していました。江戸は当時世界有数の上下水道システムを誇り、人糞を肥料として農村へ売却する高度なリサイクル都市でしたが、長屋の生活用水は神田上水や玉川上水の共同井戸に依存していました。下水と上水の分離が不完全な場所や、川の水を直接汲んで使っていた地域では、汚染された水が配水網を通じて一気に広がり、爆発的な集団感染を引き起こしてしまったのです。