真言宗智山派の教えと総本山|成田山・川崎大師との関係と豊山派との違い
真言宗の歴史を紐解く上で欠かせないのが、「古義(こぎ)」と「新義(しんぎ)」の分岐点です。真言宗智山派は、後者である新義真言宗の伝統を継承する宗派です。
平安時代初期に弘法大師空海(774〜835年)によって開かれた真言宗は、平安末期になると高野山の世俗化が進み、教理の形骸化が懸念されました。そこで立ち上がったのが、真言宗中興の祖と称される興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん/1095〜1144年)です。覚鑁は、空海の教え原点に立ち返るべく教学改革を断行し、和歌山県の根来寺(ねごろじ)を拠点に新たな教学体系(新義)を打ち立てました。
新義真言宗の最大の特徴は、本尊である大日如来の「加持身(かじしん)」が自ら法を説くという教義(加持身説法)を論理的に体系化した点にあります。この教えにより、衆生を救済するための実践的な祈願や密教儀礼が、より高度に正当化されました。
しかし、戦国時代末期の1585年、強大な勢力を誇った根来寺は豊臣秀吉の紀州征伐によって全山灰燼に帰します。この時、根来寺にあった智積院の能化(住職)であった玄宥(げんゆう)僧正は、経典や仏具を抱えて辛くも脱出。その後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康の信任を得た玄宥は、1601年に京都・東山の地に土地を寄進され、智積院を再興しました。これが現在の真言宗智山派の直系ルーツとなっています。