西郷隆盛の写真はなぜ1枚もない?肖像画の嘘と本物の顔に迫る
私たちが西郷隆盛の顔として真っ先に思い浮かべる肖像画は、明治期に来日したイタリア人版画家エドアルド・キヨッソーネが手がけたコンテ画です。しかし、この作品が描かれたのは1883年(明治16年)のことであり、西郷が西南戦争で没してから6年も後のことでした。
生前の西郷と面識がなかったキヨッソーネは、親族の顔貌を手がかりにモンタージュの手法を用いて制作を進めました。顔の上半分は実弟である西郷従道を、下半分は従弟にあたる大山巌をモデルにし、知人の証言を交えながら1枚の肖像を完成させたのです。
この肖像画は明治天皇にも高く評価され、西郷の「公式の顔」として定着しました。ところが、1898年に東京の上野恩賜公園で高村光雲作の西郷隆盛像が除幕された際、除幕式に招かれた妻のイト(糸子)夫人は「うちの宿父(しゅくふ)はこげんなお人じゃありもはん」と声を漏らし、周囲を驚かせました。夫人のこの反応は、浴衣姿というラフな装いに驚いただけでなく、キヨッソーネの肖像画をベースにした銅像の顔立ちそのものが、夫の実物とはかけ離れていたことを物語っています。