種子島の鉄砲伝来と国産化の真相|なぜ日本は瞬時に銃大国へ変貌したか

種子島の鉄砲伝来と国産化の真相|なぜ日本は瞬時に銃大国へ変貌したかを徹底追究! 読者が気になる 重要ポイントを分かりやすく展開します。

種子島から発した技術は、まず近江国友村(滋賀県長浜市)と紀州根来(和歌山県岩出市)へ直接もたらされました。根来寺の僧侶・杉坊明算(すぎのぼうめいさん)は種子島へ赴いて鉄砲を買い求め、持ち帰った1挺を元に根来での国産化を進めました。これにより、紀伊半島に強力な鉄砲傭兵集団である「根来衆」「雑賀衆」が誕生します。

鉄砲の軍事革命を最も大規模に実戦へ反映させたのが織田信長です。信長は早くから堺の豪商や国友の鍛冶集団を経済力で囲い込み、鉄砲本体のみならず、国内調達が極めて困難だった硝石の輸入ルートを掌握しました。当時の硝石は主にタイやインドなど東南アジアからの輸入に依存しており、信長は南蛮貿易を通じてこれを独占的に確保したのです。

その集大成となったのが、天正3年(1575年)の「長篠の戦い」です。武田勝頼率いる最強の武田騎馬軍団に対し、信長・徳川家康連合軍は設楽原(したらがはら)に馬防柵を築き、推計1,000〜3,000挺におよぶ火縄銃を集中配備しました。通説で語られてきた「三段撃ち」の厳密な運用形態には諸説あるものの、防御陣地と大量の銃火器を組み合わせ、連続射撃によって突撃力を無力化させた組織的戦術は、中世の戦のあり方を根底から覆す軍事パラダイムシフトでした。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。