昭和の大スターが最期まで知らされなかった病名――没後39年の2026年に問い直す、石原裕次郎が遺した医療と時代の結節点

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裕次郎が倒れ、病床に伏してからの「石原プロモーション」の動きは、現代のタレント事務所のそれとは一線を画していた。渡哲也をはじめとする屈強な所属俳優たちは、交代で病室の警護に立ち、情報の外部流出を防ぐ盾となった。病状の悪化をひた隠しにし、世間に「元気なボス」の残像を送り届けようとする姿は、ひとつの運命共同体そのものだった。

意識が混濁する最期の日々、裕次郎がうわ言のように繰り返したのは、映画の現場への渇望と、支え続けてくれた妻への感謝だったと伝えられる。「おい、まき子、ハワイの海が見えるな」――東京の冷たい病室で、酸素マスク越しに彼が見つめていたのは、かつて愛したヨットの帆を揺らす風だったのか。1987年7月17日午後4時26分、日本のエンターテインメント界における巨星の呼吸が止まった。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

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