巨人・渡辺元オーナーの現在と真相|100歳を迎えた怪物の功罪
渡辺オーナーが築き上げた絶対的な権力の源泉を理解するには、その規格外のキャリアを振り返る必要があります。東京大学文学部哲学科を卒業後、1950年に読売新聞社へ入社。学生運動(日本共産党への所属と離党)を経験した渡邉氏は、政治部の若手記者時代から頭角を現しました。自由民主党の実力者であった大野伴睦や中曽根康弘元首相に深く食い込み、単なる取材記者を超えて「中曽根内閣の知恵袋」「政界の指南役」として政策立案や派閥抗争の裏面工作に直接関与したことは有名な事実です。
1991年に読売新聞社社長に就任すると、販売店網の強化と論調の刷新を断行し、発行部数1000万部を誇る「世界一のメガペーパー」へと読売を牽引しました。そして1996年、第7代読売巨人軍オーナーに就任。メディアの頂点に立つ権力者が球団のトップを兼ねることで、読売グループの総合力を背景とした圧倒的な球団運営を展開し始めます。清原和博氏や江藤智氏、工藤公康氏をはじめとする大型FA補強を次々と敢行し、「勝つことこそ最大のファンサービス」という哲学のもとでチームの黄金期を演出し続けました。
これほどの権力を誇った人物だけに、世間では「どれほどの私有財産を蓄えているのか」という点に長年関心が集まってきました。しかし、報道関係者や登記情報、過去の高額納税者番付などのデータを見る限り、渡邉氏個人が巨大な財閥のような個人資産を蓄財していたわけではありません。読売新聞グループは非上場組織であり、株式の多くは読売関係の公益財団や社内持株会、正力家などの関連組織に集約されています。渡邉氏の真の力は「数千億円の資産を握るオーナー」ではなく、「数千億円の資本と数千万人の読者を動かす決定権を持つ執行責任者」であった点にあります。個人資産への執着よりも、人事権と言論空間を支配することに生涯の情熱を捧げた点が、他の実業家オーナーとは根本的に異なっていました。