米騒動とは何か?大正の真相から令和の米不足まで完全解説

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大動乱の発端となったのは、1918年7月23日、富山県魚津町(現・魚津市)での出来事でした。北海道への米積み出し作業を目撃した現地の漁師の妻たちが、「自分たちの食べる米がなくなる」「米を県外へ運び出さないでほしい」と米問屋へ直訴し、積み込み作業の中止を求めたのです。

この動きは越中女房一揆と呼ばれ、当初は武器を持たない女性たちによる平和的な嘆願運動でした。彼女たちは海岸に座り込み、集団で米穀店へ陳情を繰り返しました。この切実な叫びが新聞で報じられると、米価高騰に苦しんでいた全国の庶民へ瞬く間に飛び火します。

8月に入ると、名古屋、京都、大阪、神戸、東京といった大都市圏へ拡大。民衆の怒りは米問屋だけでなく、米の買い占めで巨利を得ていた政商や大企業へと向かいました。その象徴が、1918年8月11日に起きた鈴木商店焼き討ち事件です。神戸に本社を置く総合商社・鈴木商店は、政府御用商人として米の買い占め首謀者であると新聞各紙に激しく糾弾され、怒り狂った数万人規模の群衆によって社屋を全焼させられる事態へと発展しました。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。