横山裕の壮絶な苦労と生い立ち|極貧から弟を支え続けた家族愛の真相

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中学校を卒業する際、多くの同級生が進学を選択する中で、横山裕は高校進学を選びませんでした。母親と義父の関係が破綻し、母が弟2人を連れて離婚したことで、家庭の経済状況は一層ひっ迫していたためです。

「自分が働いて、母と弟たちを食わせなければならない」という強い責任感から、15歳の横山は地元の建設会社に就職。ニッカポッカを履き、建設現場での配管工やとび職の過酷な肉体労働に身を投じました。真冬の凍えるような早朝から現場に出て泥まみれになり、重い建築資材を運ぶ日々。日当を手にしては、生活費として母親に渡す生活を続けていました。

その一方で、中学3年生の時に母親が履歴書を送ったことがきっかけで合格していた関西ジャニーズJr.の活動も並行して行っていました。平日は建設現場で汗を流し、週末になると作業着から衣装に着替えて歌やダンスのレッスン、テレビ収録に通うという、文字通り二重生活を送っていたのです。

当時の現場監督や職人仲間からは「あいつは弱音を一切吐かず、礼儀正しく現場で動いていた」と語られており、建設現場で叩き込まれた挨拶や上下関係の規律、泥臭い努力の姿勢が、後の芸能生活における強固な基盤となりました。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。