ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相と現在|氷上の女王が辿った激動半生

ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相と現在|氷上の女王が辿った激動半生の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。

膝の腱に大きな損傷を負ったケリガンは、全米選手権の棄権を余儀なくされました。誰もが彼女の競技人生の終焉を危惧しましたが、ここから見せた執念と回復力は、全米のアスリート史に残る奇跡と呼ぶにふさわしいものでした。

医師団による献身的な治療と、1日4時間を超える過酷なリハビリテーションを耐え抜いたケリガンは、事件からわずか7週間後、特例措置によって代表に選出された1994年2月のリレハンメルオリンピックの舞台に立ちます。そこには、連邦裁判所に提訴して強引に出場権を維持した因縁のライバル、トーニャ・ハーディングの姿もありました。

世界中のメディアが2人の一挙手一投足を追い、公式練習ではリンク上でニアミスするだけで無数のフラッシュが焚かれました。迎えた女子シングルのフリースケーティング。ケリガンは精神的なプレッシャーを跳ね返し、ほぼ完璧な演技を披露します。技術点・芸術点ともに高得点をマークし、当時のウクライナの新星オクサナ・バイウルにわずか0.1点差(審判員判定5対4)で敗れたものの、堂々たる銀メダルを獲得したのです。

一方のハーディングは、靴紐のトラブルによる演技やり直しなど精彩を欠き、8位に沈みました。この女子フリーの全米中継(CBS)は、驚異の視聴率48.5%、占拠率64%を叩き出しました。この数字はアメリカのテレビ史上、歴代スポーツ中継でも屈指の記録であり、スーパーボウルの大半を凌ぐ全米歴代6位の高視聴率として記録されています。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

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