マクロン大統領の妻ブリジット夫人の軌跡|24歳差愛と噂の真相解明
二人の出会いは1993年、アミアンの高校に遡ります。当時39歳だったブリジット教諭が指導していた演劇部のワークショップに、当時わずか15歳だったエマニュエル・マクロンが参加したことが運命の歯車を動かしました。マクロン少年は夫人の長女ロランスと同級生であり、ずば抜けた知性と早熟な感性で教師たちを驚かせる存在でした。
二人はエドゥアルド・デ・フィリッポの戯曲『コメディの喜劇』の翻案作業を共同で進める中で、知的な共鳴から急速に惹かれ合っていきます。当時の特番インタビューや関係者の証言によると、夫人は後に「毎週金曜日に戯曲を書き直す作業を通じて、彼が他の誰とも違う知性の持ち主であることを思い知らされた」と述懐しています。
しかし、厳格な地方都市において、子を持つ既婚女性教師と未成年男子生徒の精神的結びつきは、当然ながら激しいスキャンダルとして受け止められました。事態を憂慮したマクロンの両親(ともに医師)は、息子を引き離すためにパリの名門アンリ4世高校へと転校させます。その旅立ちの際、16歳のマクロンが言い残した言葉が、今や伝説として語り継がれる一節です。
「何があろうと、私は必ず戻ってあなたと結婚します」
遠距離となった後も二人は毎日のように長電話を重ね、対話を途絶えさせませんでした。ブリジットは前夫との関係を清算するまで長い時間をかけ、子どもたちの自立と心情に細心の配慮を払いながら、2006年に正式に離婚。出会いから14年の歳月が流れた2007年10月、二人は北部のリゾート地ル・トゥケで正式に婚姻届を提出しました。結婚式でマクロンは、妻の連れ子たちに向かって「私たちを受け入れてくれたことに感謝します。普通のカップルではないかもしれないが、実在する本物の家族です」と謝意を述べています。