最後の元老・西園寺公望の実像|なぜ軍部の暴走を阻めなかったのか
西園寺公望を巡る歴史をより深く理解するためには、日本最高峰の貴族階層と近代財閥を結びつけた驚異的な家系図と血脈のネットワークに光を当てる必要があります。実家である徳大寺家、養子に入った西園寺家はいずれも太政大臣を輩出できる公家の最高家格「清華家」に属していました。
西園寺公望の実兄である徳大寺実則は、明治天皇の側近として宮内卿や内大臣を半世紀近く務め上げ、皇室と政府のパイプ役として君臨しました。そして、実弟の住友友純(幼名・隆麿)は、関西財界の巨頭である住友家第15代当主・住友吉左衛門を襲名し、別子銅山近代化や住友総本店設立を牽引して住友財閥の基礎を盤石なものにしました。
宮中中枢を握る兄・徳大寺実則、政界の頂点に立つ西園寺公望、そして日本経済の屋台骨を支える弟・住友友純。この血統的トライアングルは、近代日本の「宮中・政界・財界」を裏で網の目のように結びつけた未曾有のネットワークでした。
西園寺公望自身は正妻を持たず、生涯にわたり複数の側室(奥村花子ら)との間に子をもうけました。西園寺家の家督は、長州藩主・毛利元徳の八男である八郎を養子に迎えて継がせています。この西園寺八郎もまた式部官長などを務め、皇室を支える中枢人物となりました。その子である孫の西園寺公一は、後に「民間大使」として日中関係の改善に尽力するなど、その血脈と人脈は昭和の戦後復興期にまで色濃く影を落としています。