山口組葬儀の緊迫警備と真相|焼香順が語る組織序列と2026年動向
歴代幹部の見送り儀礼を振り返ると、そこには暴力団と日本社会との距離感の変遷が色濃く反映されています。昭和から平成、そして令和の現在に至るまで、その規模と社会への露出度は劇的に縮小してきました。
その頂点として語り継がれるのが、1981年(昭和56年)に執り行われた三代目・田岡一雄組長の葬儀です。神戸市灘区の田岡邸周辺には数千人規模の構成員が集結し、当時の芸能界の大物スターや政財界の関係者が公然と弔問に訪れました。数千基の生花が街を埋め尽くし、巨大な国葬を思わせる光景は全国メディアで大々的に報道され、社会に強烈な衝撃を与えました。
対照的に、血塗られた緊張感の中で行われたのが、1985年(昭和60年)の四代目・竹中正久組長の葬儀でした。一和会との間で泥沼の「山一抗争」が勃発し、竹中組長が射殺された直後という極限状態の中で挙行されたため、参列した幹部たちは全員が防弾チョッキを着用。機動隊数千人が動員され、会場一帯は戦場さながらの物々しい空気に包まれました。
さらに時代が下り、2012年(平成24年)に死去した五代目・渡辺芳則元組長の葬儀では、大きな潮目の変化が見られました。すでに引退していた身であったことに加え、全国で暴排条例が施行された直後であったため、儀式は神戸市内の自宅で極秘裏に進められ、参列者もごく近親者と一部の幹部に限定された「密葬」形式が採られました。かつてのように街を封鎖して勢力を誇示するスタイルは完全に過去のものとなり、潜行化を余儀なくされたのです。