「令和天皇」は間違い?今上天皇の正しい呼び方と歩み【2026年最新】
第126代天皇としての歩みを深く理解する上で欠かせないのが、浩宮(ひろのみや)と呼ばれた幼少期から培われてきた徳仁陛下の卓越した知性と、家族を命がけで守り抜いてきた揺るぎない人間性である。
1960年2月23日に誕生された徳仁陛下は、上皇ご夫妻のもと、それまでの皇室の慣例であった乳母制度を排し、両親の手元で育てる「ナルちゃん憲法」のもとで健やかに成長された。学習院大学文学部史学科を卒業後、イギリスの名門オックスフォード大学マートン・カレッジへ留学。テームズ川の水運史を研究された経験は、後に陛下が生涯のライフワークとされる「水問題(治水・利水・環境)」への深い学識の礎となった。
皇室記者として長年取材を続けてきたベテラン記者は、陛下の研究者としての側面に強い敬意を表している。
「徳仁陛下は単に儀礼的な名誉職として水問題に関わっておられるのではない。国連の『水と衛生に関する諮問委員会』の名誉総裁を務められた際も、自ら英語の論文を執筆し、国際会議で基調講演を行われるなど、地球規模の環境課題に対する世界トップクラスの専門家として国際機関からも絶大な信頼を得ている」
一方で、陛下の歩みを語る上で国民の記憶に深く刻まれているのが、皇后雅子さまとの歩みである。1993年6月の御成婚時、陛下が雅子さまに贈られた「雅子のことは私が一生全力でお守りします」という誓いの言葉は有名だが、その言葉は単なる社交辞令ではなかった。
旧態依然とした皇室のしきたりや世継ぎ問題の過度な重圧から、雅子さまが適応障害の療養に入られた2004年5月、徳仁親王(当時)は欧州歴訪前の記者会見で極めて異例の発言を行われた。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
このいわゆる「人格否定発言」は当時、宮内庁内外に激震を走らせたが、いかなる批判や逆風を受けようとも最愛の妻を守り抜くという強烈な意思の表れであった。その後、20年以上にわたる陛下の献身的な支えと見守りにより、雅子さまは徐々に体調を整えられ、皇后となられた現在は国際親善の舞台や被災地慰問などで輝かしい存在感を発揮されている。テレビ特番のインタビューや皇室関係者の証言でも、「公の場で見せる両陛下の温かな視線の交差は、幾多の苦難を共に乗り越えてきた夫婦の強い絆そのもの」と評されている。
さらに、長女である敬宮愛子内親王の成長も令和の皇室に明るい光をもたらしている。2026年春に日本赤十字社へ就職された愛子さまは、皇族としての公務と一般職員としての勤務を極めて真摯に両立されている。成年皇族としての落ち着いた立ち居振る舞いと、両親譲りの他者を思いやる気品は、国民の間で絶大な共感と信頼を獲得している。