公明党と中国の蜜月はなぜ続く?親中批判の真相と2026年の激動
1999年にスタートした自公連立政権において、公明党の存在は日本の対中政策・安全保障政策の舵取りに極めて大きな影響力を及ぼし続けてきました。自民党内のタカ派勢力に対して「平和の党」を掲げる公明党がブレーキを踏む構図は、長年にわたり政権運営の常態となっていたのです。
その象徴的な事例が、2026年2月に衆議院で採択された「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議」をめぐる攻防でした。原案にあった「人権侵害」という文言は公明党の強い要求によって「人権状況」へと弱められ、「非難」という語句も削られました。当時、党会合において石井啓一幹事長(当時)が「自民党はわれわれの修正案をほぼのむ形となった」と所属議員を前に誇らしげに語った事実が報道各社により報じられています。中国を過度に刺激したくない公明党の姿勢が、国会決議の実質的な骨抜きにつながった瞬間でした。
さらに長年、永田町で疑問視されてきたのが「国土交通大臣ポスト」の公明党指定席化です。2009年の政権交代期などを除き、公明党議員が国交相をほぼ独占し続けた背景には、公共事業をめぐる支持母体への配慮だけでなく、観光行政を通じた対中交流の利権や、海上保安庁を傘下に持つ安全保障上の要衝を掌握する狙いがあるのではないかと取り沙汰されてきました。尖閣諸島周辺で中国海警局の船艇が領海侵入を繰り返すなか、海保を所管する国交相が公明党出身であることに対し、防衛関係者や保守派議員からは「強い抗議行動への制約になっている」との懸念が長年燻り続けていたのです。